ここのところずっと、余裕がなかったような気がする。
いろんな意味での余裕。
もしかしたら、全てにおいて…なのかもしれない。
今まで数回、母に言われたことがある。
「犠牲になって、お前も可哀想だね…」
その時の母の表情はいつも哀しげだ。
犠牲になったのは母も同じ。
ただ、立場が違うだけ。
確かに私は犠牲になったし、それを恨んだこともある。
でもあくまでも選択したのは自分だということも忘れてはいけないと思っている。
それしか選択肢がなかったのだとしても。
流されているのだとしても、それは自分の意思で。
(江の生き方に学ぶ点は多いです(笑))
…それが自分の人生への責任だろう。
他の誰のせいでもなく。
いつも思うのは「比較してはいけない」ということ。
自分を何かと比較してはいけない。
他の人とも。
そして過去の自分とも。
今の自分を計れるのは、今自分が持っているものさしだけだから。
比較して、足りないものを「欲しい」と思うのも違うと思う。
確かに充足ばかりでは進歩しない、という。
欲求こそが人を成長させる、とも。
でも、足りない足りないばかりでは疲れてしまわない?
冷静に自分の周りを見て、
自分が思うよりずっと自分自身が「足りていることに気づかない」のもまた、
不幸じゃないのかな。
自分を哀れんでいるばかりなのも自分が可哀想。
…できないこと、足りないことを数え上げるより、
今、自分にできること、満ち足りていることを数えたい。
…人を羨んでばかりいるより、自分が出来ることで満足したい。
…人生、思っているより案外短いから、
つまらないことばかり考えないで、
笑えるようにいつも居たい。
……同じ煩悩なら、こんな希望の方が良くない?(笑)
自分の幸せは自分次第。
そんなことを考えた、
散々だった日の翌日、でした。